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金鉱街の記憶

九份

[GR DIGITAL F4.0 1/40sec ISO64 レベル補正]
 
 
九份。この地名を聞くと候孝賢監督の、「非情城市」の情景が目に浮かびます。
古くは金鉱で栄えた街であり、今は観光地として日本人観光客も多く訪れる場所でもあります。

歴史を紐解くと、「台北縣誌」によれば清朝時代初期にこの地域の村落に9戸が生活を営んでおり、いつも町へ買出しに出ると9つ分(九份)を購入したことが地名の由来とされています。
1893年(光緒19年)に九份で砂金が発見されてから金鉱の歴史が幕を開きます。
多くの人々が一攫千金を夢見て九份に集まり、人口は3千から4千戸に膨れ上がったといわれます。

日本統治時代に入り、金鉱街は最盛期を迎え、採掘技術の近代化と共に採掘量も最高期を迎えます。
基隆の町からは山の上の九份の明かりが輝いているのが見え、人々は「小上海」「小香港」と称しました。

戦後、金の埋蔵量が減ると共に採掘量も減り、街は廃れていき、1989年に「非情城市」がヴェネチア映画祭でグランプリを取るまで、一時は人々の記憶からも消えようとしていました。

今日、観光名所としてよみがえったわけですが、ここ10年程ですっかりどこにでもあるような観光地になってしまいました。
以前はとても趣のある山間の街だったのですが、お土産屋や食べ物屋が軒を連ね、情緒のない街に変わってしまいました。
非常に残念でなりません。

今ではスクリーンの中でしかあの頃の情景に会うことはできないようです。


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